樹のココロ人の心 003

大木神話 −その2−

源頼朝が、鎌倉に武家政権を樹立したのは、(1180年)永承四年でした。公家政治を打破し、武家政権の確立に奔走し、(1185年)文治元年には平家を壇ノ浦で滅ぼし、鎌倉幕府を不動のものとする。
 建築では、鎌倉時代の中国(宋)の建築様式が主流でした。この時代の中国から、南宋と北宋の建築様式が伝わり、何層の建築様式を大仏様(天笠様式)と言い、北宋の様式を禅宗様(唐様式)と呼ばれる。しかし、鎌倉時代後半から和様が主力となる。天笠様式の代表的なものは、東大寺南大門だどが有名ですが、禅宗様の唐様式は、京都や鎌倉の寺院に多く取り入れられ、和様と混合しながらもかたくなに唐様式は生き続ける。しかし日本の建築様式は、天笠様式は勿論、唐様式から和様まで取り入れられ、日本独自の建築様式
として現在に至っているのです。
 

 数多くの寺院が鎌倉には現在します。その大部分は唐様式ですが和様式建築と呼ばれる寺院建築の花盛りと成る。その材ですが、大部分の材は地元産出の材が使われ、遠く紀州や九州からの材は見受けられない。鎌倉時代には地元でも大木名木が産出されたのでしょう。特に目立つのが関東材とも言われる松材で、檜・杉材と共に多く使われて居る。欅材は丹沢山系の欅が良材と言われ、鎌倉時代には相模の欅材が、産地から運ばれた事でしょう。
 

 大木で有名なのが神木として名が通る、鶴ヶ岡八幡宮の石段の途中に聳える大銀杏でしょう。吉野で捕らえられた静御前が、頼朝と政子の命で舞を奉納した舞殿(下拝殿)の裏に聳えて居る。まさに大木神話の見本の様な銀杏で、樹齢千年以上と言われている。太いしめ縄が巻かれた神木には、数々の神話や時代背景の物語が伝えられています。1219年(承久元年)三代将軍源実朝が、右大臣拝賀の帰り、甥の公暁に殺害されたと言う伝説が残っています。その時公暁が隠れていたのが、この大銀杏だったと言う。高さ30mを超え、胴回り7mの大樹は、さすがに、神木に相応しい大木神話の原形と言っても過言ではない。


 30年ほど前ですが、横浜の大きな魚屋の仕事で、直径1mを越す銀杏のまな板を頼まれ、山梨の製材所から直送して貰った銀杏を削った事があります。胴割りにしたまな板は、長さ5mでした。



平成14年4月26日号より

ページのトップへ ページのトップへ

安心の家づくり 安心の家づくり
RSS1.0

[Login]


powered by a-blog
人の心、樹の心、匠が支える集いの家
神奈川県で一戸建てを建てるなら
一級建築事務所
株式会社小島勝工務店
〒243-0211神奈川県厚木市三田3585
TEL046-242-1136

Copyright (C) KOJIMAMASARU-KOMUTEN All rights reserved. /Produced by 想いを伝えるサポート会社 ツタエル